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ヅラが目にしみる

 ちょっと聞いてもらえますか。

 昨日近所のファミレス系うどん屋で昼下がりに(二時頃)にうどんを食べたのですが、食べ終わった後、タバコを吸っていたら(禁煙ではなく、灰皿もしっかりと置いてあった)、ものすごくえらそうな雰囲気のおじさんが店内に入ってきました。

 そのおじさんは、店内に響き渡るような大きな声で、「何だ、この店は、たばこを吸わせてるのか。禁煙にしろよ」と出迎えたおねえさんに向かって言いました。おねえさんは少し困っていました。

 その時、だだっぴろい店内にいたのは二三組で、その瞬間にタバコを吸っていたのは私だけでした。でも、他の客との距離は確実に4メートルは離れていたはずです。
(これでも、一応気を遣ってるのですが……)

 私はむっとしようと思っておやじを見ました。すると、思いっきり海苔をはりつけたようなヅラでした。

 私は「私の引き起こしている迷惑度は、この人の与えてるものよりも確実に低い」と確信し、怒るまもなく、そっとタバコの火を消しました。

 人は皆それぞれ。怒りの回路や迷惑の構造自体がいわばマンガ的です。

 最近、どこに行っても幼児連れの方々がいらっしゃいます。
 この間、タバコの煙がもうもうの居酒屋に行ったら、隣の席に座っていた小学生ぐらいのお子さんと目が合いました。
 彼は任天堂DSをしていました。向かいの席のおかあさんたちはおしゃべりに夢中です。時間は夜の10時です。

 私はどんよりとし、その店を後にしました。

 その昔、吉沢やすみさんの名作「ど根性ガエル」に、必死におこづかいを貯めて、寿司屋のカウンターにひとりで寿司を食べに来るうんぬん、という小学生の話がありました。これは「小学生とカウンターで寿司」というそのこと自体があくまでもナンセンスな設定であったために、マンガのネタとして成り立っていたのだと思います。

 「小学生と寿司屋」「小学生と居酒屋」「小学生とシルバーシート」……。
 今、タバコはアヘン並みに差別されていますが、お子様は寓話並みに自由奔放です。私を含め、世論に塗れる一般庶民に「禁子供権」を主張できるほどの勇気はなく、その設定こそが、腰の引けたマンガ的世界です。

 人の怒りや思いはそれぞれ。そこに言葉がある場合もあれば、また「ヅラが目にしみる」ような、無音の思いの場合もあります。

 迷惑だという人もいるし、愛で続ける人もいる。
 タバコの煙もヅラも小学生も、一般社会というマンガ的世界を構成する立派な要素なんだと改めて思います。では、また次回。

 ハバナイスデイ。

2009.04.11 | マンガ的!

チョッキ着て鱒

チョッキ着て鱒


 いまだ肌寒き北海道。湖畔の定食屋の店頭で見つけた、チョッキを着た鱒(ます)です。

 鱒が寒がっている様子がよく伝わってきて、私の好きな作品のひとつとなっています。何が(笑)。

 チョッキの目の素朴な粗さも、おかんがざっくりと作った手編みの温もりに溢れています。フライですけど。

 きっとこんな光景を目にし、昔の人は鳥獣戯画的マンガの創作を思いついたのだと思います。

 創作万歳。姫鱒定食万歳。

 では、また。

2009.04.09 | マンガ的!

漫画・新庄とマンガ的・イチロー

 今、アメリカの作家、ネルソン・デミルの『王者のゲーム』という小説を読んでいるのですが、ふと、登場人物の吐くこんなセリフに目がとまりました。
 くせ者の元ニューヨーク市警刑事である主人公のジョン・コーリーにお目付役である長官、ジャックが語ったセリフです。

 「わたしは芝居がかったスタンドプレーは見たくはないし、傍若無人なふるまいの話をききたいとは思わない。わたしが求めるのは、ミスター・コーリー、きみの完全な忠誠だけだ。(後略)」

 劇中ではそれほど意味のある言葉ではなく、どこか危うげな主人公と上官の関係を描写したにすぎないセリフなのですが、私はなぜかこの「芝居がかったスタンドプレー」という部分に心が動かされました。

 「芝居がかったスタンドプレー」。
 翻訳であることはさておき、たしかに最近あまり耳にすることのない言い回しです。
 その昔は特筆するまでもなく、チームプレイや「和合の精神」なるものが、世の中に蔓延し、その存在さえあまり気にかかるものではなく、だからこそ、「芝居がかったスタンドプレー」という概念に意味があったのだと思います。

 ですが、最近、世の中の進展により、この辺の磁場が微妙にずれている。
 多くの人々が、どこかで「最高におもしろい!」シナリオを求め、まるで誰かがキュー出しをしているように、物事が進んでいく。
 これは、たぶん誰のせいでもなく、まさに今の時代の空気が生み出しているような気がします。

 みんなの好きなマンガ『サラリーマン金太郎」は、その「マンガ的」な出世が読者の「気持ちのいい」感覚を生み出していました。
 「そんなわきゃねーだろ」とか「ほんとかいな、それ」みたいな感覚が読み進めるうちに、いつの間にか麻痺し、行き着くところまで行かないと満足しない自分に気がつくようになります。

 こう書くと誰かに怒られそうですが、この前のWBCでのイチロー選手の決勝打は、まさにこの人民の金太郎的マンガ感によって「勝手に」シナリオが動いてしまった結果なのではないでしょうか。

 よくよく考えると、あの人はけっこう「芝居がかってる」と思います(笑)。
 年長のリーダーとはいえ、スタンドプレーと取られかねない言動や行為も目にします。もちろん、この私も含めてその実力は誰もが認めています。

 ですが、そもそも現在、「芝居がかったスタンドプレー」などという概念自体はなく、みんな予定調和的興奮を求め、事象に対してものすごい「念」を送っている。そして、その期待通りに結果が生まれる。これは、やはり「劇場型」を通り越し、「マンガ的!」なんだと思います。

 日本ハムにいた新庄剛志選手の敬遠の球をヒットにするとか、オールスター戦でホームスチールをするとか……。
 あれは「漫画」でした。懐かしく思い出します。

 では、ハバナイスデイ。

2009.04.08 | マンガ的!

水泳どうでしょう

 ちょっと納得がいかないので言わせてもらってよろしいでしょうか。

 私は最近、メタボ対策で某スポーツクラブで週二回ぐらいですけど、水泳をしているんですけど、どうも納得がいかない。

 たいていああいうプールは、「ウォーキングコース」「初心者用コース(泳ぎたいけど、コースの全長は泳げない人用)」、「ゆっくり泳ぎたいコース」、「ロングコース(ガンガン泳ぎたい人用)」のように各レーンが分かれているんだと思います。

 私は一応泳げますけど、元水泳部とかではないのでガンガン泳ぎたい気分には到底ならず、肉体的にも、タバコをガンガン吸っているので、すぐ息が上がってしまうので、早い話がとりあえず途中で足がつかない程度にちんたらと泳ぎたいのです。

 気持ち的には、「初心者用コース」と「ゆっくり泳ぎたいコース」の中間ぐらいの感じで「存在」していたいのですが、平日の昼下がりのプールなんぞは全体的にはお年寄り率がものすごく高いので、邪魔になるのもなんですから、「ゆっくり泳ぎたいコース」で、泳いじゃあ虚空を眺め、泳いじゃあ遠方を眺めと、文字通りゆっくり泳いでいるのです。

 ところがどうでしょう水泳。必ず抜かされるはめになるのです。

 なぜか知りませんが、私が泳いでいると「ゆっくり泳ぎたいコース」にクイックターンをしながら、がんがん泳いじゃっている人が登場する。
 その隣のロングコース行きゃあいいじゃん、と必ず思います。

 じいさんばあさんで溢れかえった緊張感のかけらもない昼下がり、私は後ろからあおられ、時には抜かされ、目の前でクイックターンを見せられるはめになる。

 あのちょっと血圧の上がる感じはいったい何なのでしょう。

 そして、そのようなことをするのはたいていが、若くもなくおばあさんでもない、30代から40代前半ぐらいまでの女の人なのです。

 私はいつも心の中で思います。
 「わかったよ、もう」「俺だって泳ごうと思えば泳げるよ」(泣)

 あれは、間違いなく「おさかなになった、わ・た・し」が入っているのだと思います。「昼下がりにフィットネスクラブで颯爽と泳ぐわたし。キャリアは万全、肉体だって完璧。こんな私はいつか素敵な恋に巡り会う……」と、ひょっとしたら、そんな気分なのでしょうか。

 そうだとしたら、マンガの見過ぎだと思います。
 とりあえず、ルールは守りましょう(←けっこう怒っている)。
 私はそんな目に遭うと、いつもどんよりとしてしまいます。

 でも、よく考えると、こんなことを感じている私の方がマンガ的、しかも、80年代初頭ぐらいのさえない男が主人公のラブコメマンガ的感性のような気がしてきます。

 とりあえず、マンガでやっているんじゃなくて、ウエストないから水泳やってるんですけど……。

 やはり、市民は知らないうちにマンガ的になっているのでしょうか。とりあえず、本日、ジャグジーで肛門に水圧を感じながら五秒ほど思ったことでした。

 では、ハバナイスデイ。

2009.04.04 | マンガ的!

とんかつ力

 さて、今日から新年度です。

 この雨混じりの曇り空を眺めていると、この不況下、朝からテレビで垂れ流されている「弁当男子」(何でも、最近金がないので自分で弁当を作って会社に持参する男子が急増しているらしい)の話と相まって、まるで「涙目の新年度」のように感じてしまいます。

 ま、弁当なんぞは自分で食うものだから誰が作ってもかまわないのですが、そもそも、こんなところに力を使ってる場合でしょうか。力の無駄です。

 力と言えば、私には前から気になっているものがあります。それはとんかつ力です。

とんかつ力


 最近は言葉もカジュアルになっていて、表現しにくい概念を「~力」と言って、そのニュアンスを一気に表現してしまう傾向が見られます。「眼ヂカラ」とか「脳力」みたいなものがそれです。

 とんかつ力とは、いったい何なのでしょうか。油によるボディへのダメージをもたらす力のことを言うのか、あるいは、ボリューミーな男心を外部へ見せつけるためのエナジーの言葉なのか。そういう意味では、私は最近思いっきり減量を余儀なくさせられているため、とんかつ力はほとんどありません。

 ロボットものや戦隊ものなどのマンガの世界では、空想の兵器による願望の力が様々な形で表現されてきました。ちょんまげを挟み投げする何とかスラッガーで相手を切り倒したり、おっぱいからロケット弾が飛び出たり。もちろん、それはそれで興奮するものであったので、私たちは、この「とんかつ力」に、いったい何が起きるのだろうという、同じような興奮を覚えます。

 ちなみに、私の友人の田中君は、おとうさんが「力(ちから)」という名前のじゃがいものような人だったので、なぜかその名前と風貌が友人たちに大ウケで、しまいには本人が、「田中力(たなかりょく)出せよ」などと、意味もなく励まされて(からかわれて)いました。

 それにしても、とんかつ力。それは、ある能力を指すのであれば、キャベツはいったい何なのでしょう。疑問は膨らみます。

 いまさら、「それは“力”っていうとんかつ屋の名前だろ」などという野暮なことは言いません。願望は願望です。マンガ的の奥は深いと思います。

 では、ハバナイスデイ。

2009.04.01 | マンガ的!

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プロフィール

中丸謙一朗

Author:中丸謙一朗
職業:編集者・コラムニスト
1963年生まれ、横浜市出身。立教大学経済学部卒。1987年、マガジンハウス入社。『ポパイ』『ガリバー』『ブルータス』などで編集を手がけた後、独立。著書に『大物講座』(講談社)、『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社・扶桑社文庫)、『車輪の上』(エイ出版)、漫画原作『心理捜査官・草薙葵』(集英社コミックス)など。編著多数。

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