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身もだえする大根

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 出ちゃってます。

 少し恥じらいを残しながらも、気持ちとはうらはらに身もだえをしてしまっている切なさが私の心を捕らえ、私の好きな作品のひとつとなっています。(←何が)

 朝起きたら脱いでた……。

 そんなびっくりする感情にも似ています。

 参照「人間苦しくなると服を脱ぐ」

 写真提供はエッセイストの渡辺瑠海氏。なかなかおもしろいやつです。

 高知のどっかの田舎で見つけたものを送りつけてきました(笑)。

 皆様からのご投稿もお待ちしております。



 では、ハバナイスデイ。


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2009.05.16 | マンガ的!

キャラの多すぎる物語

 今、目の前をこぎ去っていった女子高生たちの楽しそうな会話が、残響のように脳内に響き渡る。

 「いやあ、わたし、そういうキャラじゃないからさあ」
 「あははは」

 もう、キャラとかそういうの「うるせーよ」って思う。

 お笑い芸人から政治家まで、みんながキャラ立ちすることばっかり考えてる。
 さっきもテレビのコメンテーターが民主党党首のキャラがどうたらとか言ってた。

 確かにこのコラムでも「マンガ的!」とか、好き勝手にいろんなことを言ってるが、でもそれは、本人の「演じている」自意識の話をしているのではなく、どちらかと言えば本人の無意識下の部分の話、あくまでも第三者からの「見た目」や第三者に与える「空気感」の話をしているつもりだ。

 キャラの多すぎる物語はうっとうしいだけだし、「キャラが弱い」みたいな訓辞が蔓延すれば、行き着くところ、キャラのない人は生きてる価値なしってことになる。

 私自身、キャラがあるんだかないんだか知らないけれど、「意味もなく目立とうとするな、アホ」と怒られながら育った世代としては、この「キャラ騒ぎ」には何とも乗り切れない。

 いいじゃん。キャラなんかなくったって。


 昨日、テレビで流れていた渥美清の「泣いてたまるか」を見た。

 あの主人公の姿(平凡でどこにでもいるだめなサラリーマン)は、キャラが立っているという今風の言い方より、「平凡」という役柄をきちんと演じきり、見ている人の共感を得ていたのだと思う。当たり前だけど、そこには「ちゃんと」寅さんがいなかった。

 演技にせよ、生き方にせよ、きちっと埋もれることこそ難しい。

 近所の定食屋に覚えられずにいる快感。
 飲み会で出身地を二回も三回も聞かれる軽快感。
 名乗ってもうさん臭がられるうすら警戒感……。

 キャラが立って、タレントさんみたいにVIPなのもそれはそれでいいとは思うけど、ちゃんと最低限の名前を名乗って自然に振る舞えるというのが、ものすごく大事なことなんだと思う。

 民主党の党首候補の岡田克也さんとイオンは直接的には関係がないのだけれど(兄貴が会長)、イメージがスーパーのおかげで、岡田さんに何か頼むと、どうも二円か三円か安くしてくれそうな(庶民の味方?)気がする。実際にはそんなわけない。
 キャラやイメージなんてものは、そんないいかげんなものだ。

 何度か出会ってやっと名前を覚えて、その有り様がボディブローのように効いてくる。そういうのは「キャラ」と言わず、「存在感」と言うのだと思う。

 岡田さんが本当のところどうなのかはまだちょっとわからないけれど、政治はマンガではないことだけは確かだ。

 とにかく、私は安いキャラはもういらない。



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2009.05.14 | マンガ的!

「マンガ的」なことを「一生懸命に」やった人

 忌野清志郎さんが死んだことに、少なからずショックを受けている。
 だって、あの人こそ、ちゃんと「マンガ的」なことを「一生懸命に」やっていた人だったと思うから。

 あのメイクだとか、「愛し合ってるか~い」とか、ゴン太二号とか、キンキラリンの衣装だとか、男同士のキス(with 坂本龍一)だとか、あまりにもインパクトありすぎて、当時高校生ぐらいの私たちでも、最初はなかなかその意味合いを消化できなかったもん。

 その後、大人になった80年代後半。
 最初に入った雑誌社での私の担当は東芝EMI。
 当時のRCサクセションは、原発問題などで、発売元の東芝EMIを相手取り、上を下への大騒ぎ。そんな縁もあり、私は、ますます彼にはまった。

 タイマーズの一連の活動も好きだった。というか、バカウケ。(テレビ出演)

 楽曲も、アルバム「カバーズ」あたりから見られた洋物スタンダードの日本語バージョンなんかは、ものすごくいいかげんに聞こえていて、それでいて心に染みた。

 何とも子どもの鼻歌的というかマンガ的というか、とにかく、なんだか、ほんわりとした気分になった。
 ああ、こういう「かっこよさ」もあるんだなと、思った。

 彼の感性ややったことにはいろいろな意味で影響を受けたけど、彼の下唇の下のちょびひげだけは、真似しようと思っても勇気がなかった。かっこよさへのアプローチが、「マンガ的」というか、素人には手が出せない「装い」なのだと思った。

 とにかく急逝されてしまったのは、残念なことである。
 
 葬儀に関する一連の「イベンティな感じ」にはどこか違和感も持った。
 彼の「マンガ的」な部分はあくまでも感性の表現方法なのであって、彼の人生がマンガ的であったのではない。だから、リアルな人間の感情が交錯する葬儀の席で、「愛し合ってるか~い」みたいな参列者からのフラグメンツが飛び散ると、それはそれで、本体の座り悪さみたいなものを覚えてしまう。

 いまわの際とは言うけれど、やっぱりその境界部は解け合ってはいなく、明瞭にエッジがきき、光り輝いていたからこそ、彼は、キング・オブ・「マンガ的」として人々の記憶に残っていたのだと思う。

 ポップスターという言葉にふさわしい多色刷りの華やかさみたいなものが、またひとつ失われてしまったような気がした。

 とにかく、これで一連の報道も静かになる。

2009.05.12 | マンガ的!

エロい気持ち

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  先日、道を歩いていたら、エッチな写真が落ちていました。

 ま、ものすごいエッチってわけではないのですが、何だか懐かしい感じがして、早朝の散歩時、思わず立ち止まって撮影してしまいました。

 アダルトビデオもエロサイトもなき頃、純な中高生に「エロい気持ち」をお届けするメディアの役割を果たしていたのは、道ばたでびちょびちょに濡れている、こんなエロ写真(適当な雑誌のグラビアなど)のある風景だったのでした。

 で、以下、同じ目線でどうぞ。

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  先日、横浜の伊勢佐木町を歩いていたら、街角にエッチな写真が貼ってありました。

 それは、青江美奈の「伊勢佐木町ブルース」の碑でした。

 ま、ものすごいエッチってわけではないのですが、何だか往年の懐かしい艶姿に触れ、夕暮れの散歩時、思わず立ち止まって撮影してしまいました。

 アダルトビデオもエロサイトも巷に溢れる今、純な子どもたちに本物の「エロい気持ち」をお届けする役割を果たしているのは、ひょっとするとこんな曖昧で誰も振り向かない「観光資源」なのかもしれません。

 世の中は複雑でわからんですから。 


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2009.05.09 | マンガ的!

『架空の料理・空想の食卓』



  最近、こんな本、編集しました。

 4/29日に発売になりました。   

架空の料理 空想の食卓架空の料理 空想の食卓
(2009/04/29)
澤口 知之、リリー・フランキー 他

商品詳細を見る
 リリー・フランキー氏と澤口シェフの共著です。

 お二方の雑誌「料理王国」での連載をまとめたもの。

 リリー氏のエッセイと澤口氏渾身の料理が秀逸。笑いながら泣かせます。

 お二方とは昔からの長いおつきあいで、何となく引き受けてしまったのですが、いや、すごかった。なんだかすべてがややこしくて、書籍にするのに三年ぐらいかかった。ややこしすぎて、これ以上はお話しできません(笑)。

 詳細は巻末の対談なんぞをご覧あれ。

 装丁は仲條正義先生。……いい思い出である。

 ぜひ、ご一読を。


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2009.05.02 | その他

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プロフィール

中丸謙一朗

Author:中丸謙一朗
職業:編集者・コラムニスト
1963年生まれ、横浜市出身。立教大学経済学部卒。1987年、マガジンハウス入社。『ポパイ』『ガリバー』『ブルータス』などで編集を手がけた後、独立。著書に『大物講座』(講談社)、『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社・扶桑社文庫)、『車輪の上』(エイ出版)、漫画原作『心理捜査官・草薙葵』(集英社コミックス)など。編著多数。

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