私がこれから書こうとすることは、おもしろいのかおもしろくないのか、まるで自信がない。

ケケンポナシ。
みなさんはまずこの文字面というか音というか、これを聞いてどう思うだろうか。
おかしいか? それともポカンか。
これは植物の名前である。
高知市にある牧野植物園を訪れ、園内を回っていた時のことである。
私は、一瞬この名前を見ておかしくなった。ツボにはまった。単なる植物の名前にである。
しかし、軽く笑った後、やっぱりおもしろくないことに気がついた。
単に音だし、まじめな植物の名前だからだ。これで笑うのはあまりにも小学生的だ。
しばらく、漫然と植物を見て回った。
タチシャリンバイ。
すると、今度は同行者である事務所のスタッフが急に大声で笑い出した。
ツボだ……。
私はしらけていたが、しょうがねーなあと思いつつ、
“ヨグソミネバリ”を探しだし、教えてやった。
夜糞だ。始末に負えない。私は笑わなかった。
調子に乗り、目の前のネームプレートを声を出して読み上げてみる。
ナワシログミ……暴力団系か。
カツモウイノデ……、活毛? リーブ21の社長のモゴモゴ顔が目に浮かぶ。
オオコマユミ……近所に同じ名前のガキがいたような気がするが気のせいか。

ミソナオシ……。
小動物系のゆるキャラか。
少し楽しくなってきた。
アブラチャン……。
新橋で入社2、3年目の脂性サラリーマンが入社7、8年目の先輩につけられたようなどうでもいいあだ名だ。
昔、香港西武の立ち上げの取材で有名なグラフィックデザイナーに会ったが、それはアラン・チャンだ。思い出ひとりツッコミ……。


ヤブレガサ。アラカシ……。
惜しい! アラカンだったら、時代劇感が出たのに……、
って、俺はいったい何を思い始めているのか。
で、この話、おもしろいか、みんな。
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2010.03.29
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「子ども手当法案」が賛成多数で法案成立の方向に進んでいる。
どうやら本日(3/26)にも参院本会議で可決、成立するらしい。
そりゃ、確かに子どもは社会の宝なんだとは思う。
でも、「国をあげてみんなで子どもを育てていく、そのために必要な手当を国で用意する」、って言うけど、そもそも今の日本って、そんなに一体感のある国なんだろうか。
自分たちの欲求に応じた“ぶつ切りの連帯”だけが、虚空を彷徨っている。(そう思いたくはないが)もしかしたらそんな国だ。
大人は大人の生活で精一杯だけど、日常の景色の端にいつも子どもの存在を認め、子どもは子どもで、大人の隙間で大人を畏れながら安心して遊ぶ、そんな“原っぱ”はいったいどこにいってしまったのだろうか。
もし、その“原っぱ”がまだみんなの心にあるのなら、うちには子どもはいないけれど、私はよろこんで負担を受け入れる。
2010.03.26
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私の叔父の話をする。
母方の関係者なのでその叔父と私には血の繋がりはない。
そして、その叔父は今はどこに行ったのかわからない。私と彼との唯一の接点であった「叔母の連れ合い」という関係もとっくの昔に解消し、今はその存在を追うことさえかなわない。いや、その息子たちである親戚筋(つまり私のいとこ)とはコンタクトが取れるので、接触しようと思えば何とかなるが、元々放浪感のある人なので、深く追うこともなく放っている。
私の人生における意外な場面にその叔父は顔を出し、私に少なからずの影響を与えている。いわば私の好きな叔父さんなのだ。
私と叔父は16歳違う。叔父はいわゆる団塊の世代である。
私が小学生の時、叔父は20代の若者だった。
ヴァンジャケットを着て我が家に挨拶に訪れ、お土産に『平凡パンチ』や発売されたばかりのカップヌードルを置いていった。
加山雄三を教えてもくれたのは叔父だったし、ビートルズやアート・ブレイキーのレコードをニコニコしながら渡してくれたのもその叔父だった。
私が大学に落ちて浪人していた時、予備校に通うために一年ほどその叔父の家に転がり込んでいた。叔父は気前よく部屋を貸してくれたし、時には気前よく勉強の邪魔をした。夜中にラーメンを食べに行ったのは二回や三回ではない。私は肥えた。
そして、その頃、叔父はよく店長を呼んでいた。
約25年前、彼はファミレスでさえ呼んでいた。そう、店長を出せと……。
クレイマーだとかモンスターなんとかだとかが話題になる遙か昔の話だ。
なぜ、彼が店長を呼ぶのかはいまいちよく覚えていない。事件として印象に残らないということは、たぶんたいした理由ではないのだろう。
だが、その映像は鮮明に覚えている。
店長を呼んでいる間、18歳の私を筆頭とする子供たち(9歳と5歳)はみんな下を向いて、その嵐が収まるのをじっと待った。
彼はお酒を一滴も飲めない。お酒を飲めないのにいつも店長を呼んでいた。
コーラを飲んで軽めのタバコを吸って口をとがらせながら、ウエイトレスの女の子をかきわけ、いつも店長を呼んでいた。
なんでだろう。
この話をすると、私の飲み仲間である蝋彫刻師の杉本英輝氏は、それは「店長依存症」だとバカな笑いを取った。
叔父は甲高い声でいつも店長を呼んでいたが、店長が来ると意外にあっさりと「その件」は終わっていたりもした。
叔父は、(私が大学に入り)学校の帰りにふらっと家に遊びに行ったりすると、帰り際、クルマで送っていくと言い張り、いいよいいよと遠慮しても絶対にひかない、そんな人だった。
たぶん、生き方に不器用な彼が欲していたのは、見せられもしない口先だけの「誠意」なんかではなく、「店長がいる。この店はどんなことがあってもこの男が仕切っている」という目の前の「安心感」だ。
時には空回りしていたけど、叔父は私たちに「安心感」を与えようといつも肩肘を張っていた。
大学は落ちたけど、私はやっぱりこの叔父に「安心感」をもらった。
浪人時代のちょっとほろ苦い思い出だ。
2010.03.25
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あれ!? おかしいなあ……。
トンネルを抜けたはずなのに、いつの間にか更新をしていない日々が続いていた。
これこそが、ブログというものの“動機の弱さ”だ。
何となく書いていない(笑)。
やはり、ブログは、夕暮れのグラウンドにローラーを引くように根性入れて臨まないと書けない。(前出)
「習慣になってる」とか、「書くのが楽しくってしょうがない」とか、世の中の他の人のことは知らないけれど、少なくとも私の場合はそうだ。
日々の生活の中で書きたいことはあるのだが、このツイッター時代、浮かんでは消え、浮かんでは消えの断片的感情や感想が頭の中を駆け巡る。それをまとめて、コラムに編み上げていく過程で気を許すと、その思いや形はどうでもいいものになりさがり、どうしても書こうとする気が失せてしまう。
世間も私もその場限り。カジュアルさが毒になっている……。
と、そんなことを考えながらネットを見ていて、一気に燃えた。いや、萌えた。
それは、ふと出会った、松田聖子の『天国のキッス』だ。
まずは、リンクでその映像を確認してもらいたい。
あまりこういう他所の映像を引用するのは気が引けるのだが、もうこうなると、この「創造物」のかわいさや様式美は、じゅうぶんにマンガ的!だ。いわばアイドルの完成型としてのデフォルメである。
You tubeのコメントに溢れかえる男たちの怒濤のような感情。
誰かのコメントに、彼女にノーベル平和賞を与える、というのがあったが、まさにこの平和さ加減を思うと、冗談だけで済ますのはもったいない気がしてくる。
何よりこの映像には、「ぶっちゃけ」的な投げやりさがない。
時代がそれを許していない。
アイドルはアイドルを一生懸命に勤め上げ、楽曲は楽曲で、まるでおとぎ話のような“汚れなき想像(創造)”を追求し続けているのである。
そう、あの頃(1970年代後半~1980年代前半)は、みんなが、本気でおとぎ話を信じていた。あるいは信じようとしていた、そんな時代だったのかもしれない。
創造は本来、カジュアルなものではなく、嫌になるぐらいフォーマルなものだ。
何か知らんけど、ちょっとやる気出た。
『チェリーブラッサム』を聞いたら、原稿を書くことにする。
2010.03.23
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クルマをへこませてふてくされていたことにやっと飽きて、そろそろブログでも書こうか、ついでにダイエットの計画でも立ててみようかなんて思っていたら、さっき読み返した本にこんな一説を発見……。
「俺は今でもそうだけど、食生活では肉しか食べない。女房にはせっかくの腕を振るう場面が少なく、申し訳なく思っているよ」
~小林旭著『さすらい』(新潮社刊)より
肉しか食わないって、漢(おとこ)だ……。
迷いなし。
さて、旭の名曲『ダイナマイトが150トン』でも聞きながら仕事の構想でも練るか。
2010.03.15
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