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ワイルド長平~書評『漂流』

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 江戸・天明年間、シケに遭って黒潮に乗ってしまった男たちは、不気味な沈黙をたもつ絶海の火山島に漂着した。水も湧かず、生活の手段とてない無人の島で、仲間の男たちは次々と倒れていったが、土佐の船乗り長平はただひとり生き残って、12年に及ぶ苦闘の末、ついに生還する。その生存の秘密と、壮絶な生きざまを巨細に描いて圧倒的感動を呼ぶ、話題の長編ドキュメンタリー小説。(カバーより)

 私は仕事の関係もあってここ3、4年の間、高知によく行っていた。

 この土佐の船乗り「無人島長平」の名前はあまり聞くことがなかった。

 高知、漂流、と言えば、まず名前が挙がるのが、ジョン万次郎だからだ。

 ジョン万次郎が、漂流した後、助けられた船でアメリカへと渡り、その後の日本の進路や文化に多大なる影響を与えたのに対して、この長平の場合は話が地味だ。ただ単に無人島に12年もほおっておかれて、生き延び、生還した。ただ、それだけなのだ。

 漂流の詳細は本書に譲るが、私の脳裏に焼き付いた!?映像をひとつだけ。

 長平の無人島でのスタイルはアホウドリの羽で編んだ上着、まるでガッチャマン。

 長い間このアホウドリの肉を食料にしてきたため、助けられた後、握り飯を与えられ、身体に合わず戻し、失われた時の重さを思い、思わず涙したさまが描かれている。

 この“無人島長平”の記念碑が、高知市の東部、赤岡にひっそりと建立されている。

 わざわざ訪れたのだが、その銅像、なんかえぐい色遣いだなと思ったら、どうやら発砲スチロール製らしい。

 この男、どこまでも、ワイルドだ。



漂流 (新潮文庫)漂流 (新潮文庫)
(1980/11)
吉村 昭

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書評『漂流』吉村昭著(新潮文庫)
ふんどし度 ★★★


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2010.04.15 | コメント(0) | トラックバック(0) | マンガ的!

ある編集者の死

 ある編集者が死んだ。

 某大手出版社に在籍した、私の恩師とも呼ぶべき人だった。

 ジャーナリズム系の雑誌の編集長としてならし、数多くの著作物で世間を賑わし、とてもロマンチックな企画の実現に奮闘した、そんな素敵な人だった。

 私とその編集者のつながりや15年におよぶつきあいの話はいろいろとあるが、今はとても語る気になれない。

 そんなにしょっちゅう会っていたわけでもないし、そんなにたくさんの仕事をしたわけでもない。年齢も一回りは違うし、感性や趣味などもどちらかというと違う。

 ただ、いつも、私は、その編集者のことを心のどこかで気にしていた……。



 今、出版不況と言われている。電子書籍への転換も急務だ。

 いったい編集者はどこに向かっているのか。

 「編集者」という言葉が好きで、その職業を目指し、意識し、その言葉に恥じぬように一生懸命に仕事をしてきたつもりだ。

 最近、編集者という言葉が安い。
 多くの若い人が何気なしに編集者を名乗る。既存の流通ルートに乗らない自主制作の書籍を出す“出版社”も、今じゃ、めずらしくない。ま、それはいい。

 でも、初版1000部、事務所に店舗が併設で、コミュニティ内の(ツイッターによる)口コミが宣伝、本当に欲しい人だけが買ってくれたら……って、冗談じゃない、出版って、もっと公で社会的に意味のある行為ではなかったのか。

 「文化」なんて青(あほ)臭い言葉を持ち出すつもりはないけど、微力ながらも、大きな波として世間にとって何らかの(意味のある)アピールをするため、そんなチャンスを自分たちのものにするために、編集者と書き手は結託し、汗をかき、恥をかき、精進するんじゃなかったのか。

 自分らしく自分の感性のまま、自分の好きなことを好きな仲間たちと楽しく、そして、その結果がお金になる、ワタシは自由……。いつから、そういうことになったのか。そこにあるのは、まるで薄墨で書かれたような編集者という文字……。

 じゃ、おまえはどうなんだ? たぶん、そう言われるだろう。だから、その名に恥じないよう、その歴史に負けないよう、歯ぎしりしながら過ごす。

 ある編集者が死んだ。私のお手本としていた編集者だ。

 訃報を聞いた夜、編集者という文字が滲んで見えた。

 私は今でも「編集者、コラムニスト」と名乗っている。

 どっちつかずなのは承知のうえ、両方手放したくないから、恥ずかしげもなく使い続ける。

2010.04.10 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他

愛する豚野郎


 昔から何となく豚が気になる。

 ピンクフロイドの名盤『アニマルズ』のジャケットの空飛ぶ豚。

 豚野郎、いや豚さんは、ロックの表現でも、ひとつの“前衛的記号”だ。

 『思考する豚』(ライアル・ワトソン著、福岡伸一訳、木楽舎刊)という本がおもしろい。2008年に惜しまれつつこの世を去ったライアル・ワトソン博士の豚に関する探究である。

 本著には、ウィンストン・チャーチルの残した、こんな言葉が紹介されている。

「猫は人を見下し、犬は人を尊敬する。しかし、豚は自分と同等のものとして人の目を見つめる」。

 この本を取り上げる理由、それは豚自体のふんどし度だ。

 でぶ、食い過ぎ、くさい、汚い、バカな豚野郎……。

 豚はいろんなことを言われているが、きっと意に介さない。

 本当の豚は知的で清潔好きで人とは原始からの良き仲間だ。

 豚の思いは一途であり骨太である。

 豚には「転位行動」と呼ばれる習性がある。

 「戦闘、威嚇などの豚の様々な行動には時々、『タイムアウト』が挟まれ、その間、彼らはこれ見よがしにあくびをしたり、土を掘ったりという「転位行動」を見せる。転位行動とは、葛藤や欲求不満がある時、高揚状態の時などに、気持ちを鎮めるために、その場の状況と無関係に思われるような行動をとること」(『思考する豚』)である。

 これって、人間で言えば、試験勉強とか仕事で追い込まれているときに、意味もなくオナニーしちゃったり、飲みに行っちゃたりとか、そういうことか。

 確かにそれは豚野郎だが、なんともまあ抗えない先人である。

 豚野郎と人間野郎のバカ野郎な友情に乾杯! である。


思考する豚思考する豚
(2009/10/26)
ライアル・ワトソン

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『思考する豚』ライアル・ワトソン著、福岡伸一訳(木楽舎)


2010.04.09 | コメント(0) | トラックバック(0) | マンガ的!

私を苦しめた炒飯

 ラーメンをやる人は多いが、私は断然炒飯派だ。ラーメン専門店ではなく、できるだけ「テーブルの赤そうな」街の中華屋に興味がある。また、「一事が万事。炒飯が全丼」、炒飯を食べれば、その店のすべてのメニューがわかると思っている。

 あの店がうまい、この店がいい、とガラにもなくうんちくをたれることも、ま、この炒飯に関してはできなくもない。

 だが、私が炒飯に求めているものは実はそんなに大仰なものではない。

 具なんかははっきりいって何だっていい。たいして何も入っていないのが炒飯であり、あんまり具が入っていたりあんかけがかかっていたりすると、それはもう違う料理なのだ。

 中華屋ならではの「中華だし」、「強い火力」、「ちょっと焦げたネギの香り」など、要は、ちゃんと中華してて欲しいだけなのだ。

 さて、そんなわけで、今回お届けするのは思いっきりの変化球。

 題して、「私を苦しめたまずい炒飯ベスト5」をお送りしたい。

 なお、店名などは記さないので、勝手に想像してまずがってちょうらい。

 まずは、第5位。

(5)ただ“すっぱい辛い”だけのキムチ炒飯。

 ……これはキムチを過信することによって起こるケースである。キムチを入れることによって、その他の味の調整をしなくていいと思っている乱暴な思想の結果だ。毒々しい色ばかりが目立ち、うまみがまるでなく、韓国にも中国にも申し訳が立たない代物となっている。

 で、第4位。

(4)薄味で、食べる動機を途中で見失い始める炒飯。

 ……これは比較的アッパーな住宅街のおしゃれ中華屋にて見られる傾向。塩の使い方の“思い切り”が悪いので、食っている途中でなぜか(あきらめの)ため息が出てくる。元々の味付けが弱いので卓上のラー油などを足しても、その状況はあまり変わらない。茫洋とした砂漠のような味覚が延々と続くが、途中で餃子を頼んで、たれにつけたものを上に載っけて食うようになってくると、もはやその炒飯は死んでいる。

 はい、第3位。

(3)安っぽいみじん切りの“なると巻”ばかりが目立つ何も特徴のない炒飯。

 ……街の中華屋に飛び込みで入るといちばん遭遇するケースである。うまくもなんともない、というのが絶対なる感想である。この場合、ごはんはべちゃべちゃでもパラパラでもどちらでも、どうでもよし。店主が、技術の向上を怠り、十年一日のごとく、どうせ“炒飯ごとき食い物”としてなめくさっている証拠の品である。単品で頼むと客も店主もポカンだ。

 とうとう、第2位。

 (2)なぜか輪切りの大根の煮付けが同じ皿上に載せられていて、そんなに味が悪いわけではないのだが、どちらもなかなかのどを通っていかない炒飯。

 ……これはやや特殊なケースだが、実際にあったものなので紹介しておく。輪切りの大根の煮付けに関しては、健康を考えた店主の心意気と評価したいところだが、本来が煮物と炒め物。ブレーキとアクセルをいっぺんに踏むような中華のスピンターン。皿上の水分の移動がまた面妖で口内を含め、まるで水分が流通するのを固辞するかのように、嚥下などのあらゆる流れに障害が起こる。メニューの名前は「田舎炒飯」。基本的に田舎をなめている。

 そして、栄えある第1位!

 (1)雑巾みたいな匂いのするごはんを使っている炒飯。

 ……声を大にして言いたい「いちばん恐ろしい症状、雑巾系」である。たしかに炒飯は炊きたての米ではなく、少し時間の経った、あるいは残ったご飯が使用されることが多いが、その時間経過には自ずと限度というものがあるはずだ。何時間経つと雑巾になるのか知らないが、とにかく炒飯を“残り物の活路”として存在させるのはやめてもらいたい。本当の炒飯好きは決してごはんの味を見逃すわけではないし、ごはんの雑巾臭は炒めたぐらいではけっして飛ばない。ちなみに変化系として、炒飯ふつうだが、添え物スープ雑巾系というのがある。これも基本、私は許していない。

 以上で発表を終わる。

 みなさまの正しき炒飯ライフにぜひお役立てください。

2010.04.07 | コメント(0) | トラックバック(0) | マンガ的!

R&R DIET DELUXE【フ・ト・ッ・テ・ルのサイン(2)】

 前回のこの項で、私の決死の「フ・ト・ッ・テ・ルのサイン」を公開したところ、おかげさまでご好評をいただきました(泣)。

 重ねて言いますが、これは、私にとって命がけの公表です。

 徹底してかっこわるいから(笑)。

 しかし、これもまた痩せゆくための試練です。

 今回もまた、絶好調にデブである現在の私に敬意を表し、 “私がデブを感じるサイン”をお届けしたいと思います。

 それでは、参ります。

(1)デニム素材を憎むようになった。
(2)ズボンが腹の肉の下にずり落ちてしまうので、必然的に裾を引きずってしまう。
(3)ジャージよりもパジャマを好むようになった。
(4)自然と肩がいかり気味になっている。
(5)居酒屋の座敷をやんわりと拒否するようになった。
(6)ウオッシュレットに興味が出てきた。
(7)春先にもかかわらず初夏並みに汗ばんでいる。
(8)最近痩せたお笑い芸人を見て、イラッとするようになった。
(9)ミッキー吉野(ゴダイゴ)の存在を必要以上に認めるようになった。
(10)実家に帰ったら親になまはげと言われた。

 今回はこんなとこ。

 いかがでしたでしょうか。

 今、注目すべき“フ・ト・ッ・テ・ルのサイン”。

 汗かいた分だけ痩せられる。

 メットではなく恥をぶつけ合う、「フ・ト・ッ・テ・ルの世界」。

 果たして、私たちの“未来予想図”は何色なのでしょうか。

2010.04.06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ロックンロール・ダイエット・デラックス

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プロフィール

中丸謙一朗

Author:中丸謙一朗
職業:編集者・コラムニスト
1963年生まれ、横浜市出身。立教大学経済学部卒。1987年、マガジンハウス入社。『ポパイ』『ガリバー』『ブルータス』などで編集を手がけた後、独立。著書に『大物講座』(講談社)、『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社・扶桑社文庫)、『車輪の上』(エイ出版)、漫画原作『心理捜査官・草薙葵』(集英社コミックス)など。編著多数。

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