わすれじの布袋様
玄関に八畳敷きの日の丸を飾っている私の本家は、思い出の家だ。毎年、夏休みになると野郎ばっかりの従兄弟たちが集まり、まるで部活のような風情で、遊びの「強化合宿」が開催されていた。
玄関先のゴムまり野球公式戦に始まり、二部屋ぶち抜きの和室内で行われるガムテープ製バレーボール・ワールドカップ。廊下アリーナで開催されるスピードスケート。縁側シャンツェで繰り広げられる1.5メーター級ジャンプ。腹が減れば、インスタントラーメンと桃屋のザーサイ。テレビ画面からは広川太一郎の名調子で流れるモンティ・パイソン……。
1970年代中頃の光景である。
その思い出の景色の中にひときわ輝くものがある。それは布袋様の置物だ。布袋様はこの古ぼけた日本家屋の床の間に置いてあった。鈍い艶と色黒の薄ら笑いが異様なオーラを漂わせ、周囲で暴れ回る子どもたちを何となく居心地悪くさせていた。
我が一族の従兄弟たちは、みな、この布袋様の恐怖と闘ってきた。エアコンなんて気の利いたもののなかった当時、寝苦しい真夏の夜には一服の清涼剤となっていた。
「布袋様が袋しょってやってくるぞ」
幼稚園児は必ずや泣き出し、小学生はふとんを頭から被り、中学生でさえも、その月明かりに照らされる布袋様の横顔に生命の息吹や死者の回帰を見た。
昨年、布袋様のいる本家を守ってきた叔父も鬼籍に入り、私は、しばらくぶりに本家を訪れた。
布袋様は、まだそこにいた。
布袋様は七福神のひとつである。
七福神とは、「インドのヒンドゥー教(大黒・毘沙門・弁才)、中国の仏教(布袋)、道教(福禄寿・寿老人)、日本の土着信仰(恵比寿・大国主)が入り混じって形成された、神仏習合からなる、いかにも日本的な信仰対象である。室町時代末期頃から信仰されていると言われている」。(ウィキペディア)
そもそも、布袋様っていったい何なのだろうか。
ある本は布袋様を以下のように解説している。
「布袋は、七福神の中で唯一実在した人物で、契此(かいし)という風狂の中国禅僧だとされている。背が低く肥満体で、胸と腹をはだけて太鼓腹を出している。いつも愉快そうに開口大笑している。いかにもおめでたい風体である。右手に団扇を持ち、大きな布袋をかたわらに置いて、物乞いした食べ物や日常品を入れている。布袋の名前もここから来ている。子供を引き連れて巷を放浪する。雪中でも雪をかぶらない、吉凶や天気を予想した、ことなどから人気を博した。弥勒菩薩の生まれ変わりとさえ言われてきた。
布袋は、財宝と家運、平和と安穏、不老と長寿、安産と子育ての神だとされる。何事にもこだわらず、天真爛漫な生涯を送ったとされる。不殺生の戒律を破って魚も食べた。しかし、布袋を主神とする神社は日本ではほとんど見当たらない。」 (『七福神信仰の大いなる秘密』久慈力著、批評社より)
遙か昔に死んだ祖父。16年前に死んだ私の父。昨年逝った本家の叔父。半世紀以上の間、いつもそこには布袋様があったのだけど、何でそこにあるのかを残された従兄弟全員が聞き忘れた。
天真爛漫に生きる。ただ何となくそのことを教わり続けていたのかもしれない。
2010.08.03 | コメント(0) | トラックバック(0) | マンガ的!
