夏休みのおもひで
そうだね。せっかくだから夏休みの話をしよう。あまりにも短く儚いバカな夏休みの話しだ。
今から一ヶ月ほど前、ある知り合いの夫婦から温泉の二名様宿泊券をもらった。なんでも、そのタダで温泉旅館に泊まれる券は、夫婦がそれまで住んでいた賃貸アパートの大家さん(90歳の老人・ボケ疑惑あり)にもらったという代物だ。
だったら、ふつうは彼ら夫婦が行けばいいのだが、なんでもその夫婦は、タダ券をくれたおおもとである大家さんを相手に賃貸契約のトラブルで係争中なので、とてもじゃないけどその券を使う気にならない。だから、知り合いであり、なんでも引き受けてくれそうな中丸さんにあげる、というのだ。
なんとも業の深い券だ。私は一瞬よろこんでみたものの、その券がペアチケットであることを思い出し、だったら一緒に行ってくれる女の子(巨乳希望・髪型不問)をセットで用意しろと言ってみた。だが、そんなうまい話しがあるわけでもなく、「がんばって、素敵な旅を」といういいかげんな激励の元、なんとなしにその券を前に佇むことになったわけだ。
さて、困った。恐る恐る告白するが、いい年こいて奥さんがいないばかりか、もはや彼女さえいなくなった。私は考えこんだ。誘う女性のあてはない。だが、ここは流行の(そして、俺の嫌いな)ポジティブシンキング。自分から言い出せば愛の言霊。そうだ。「来年、俺は結婚する!」と宣言すれば、道は開ける、運気が変わる。そう考え、会う人会う人にそう言ってみることにした。
反応は最近のツイートでお伝えした通りだ。ポカンとしたりまるで小学生を見つめるような反応をする。
で、そのタダ券である。そのタダ券の有効期限は8月いっぱいだ。あたりまえのことだが、この夏休み、週末の予約は埋まっており、なんとか予約できそうなのは、ギリギリの日程の日曜日の夜であった。
男と行くことだけは考えられない。だが、一緒に行ってくれる女性の当てはない。シャンウエイのシェフが紹介してくれると言っているJカップのヘルメット頭の女。あれはきっと、シェフが疲れ果てた時に厨房の片隅で見る幻覚だ。
ああ、温泉がつらい。しかも、山梨県にある(私的には)聞いたこともない温泉だ。悪いところではなさそうだが、全国レベルというよりは、県下レベルでの優良歓楽街というところであろう。
単なるラッキーがプレッシャーに変化していた。タダ券の温泉を有効活用する彼女さえいない。こんなみじめさに打ち勝つためには理屈が必要だ。そうだ、親孝行のせいにすればいい。私はそう思うことにして、おふくろに電話をした。
「……というわけなんだけどね。温泉行かね?」「あ、その日、だめだわ。○○さんのおばちゃんと○○に行く約束があるから」(ガチャン、ツーツーツー)……。
あっさり断られた。もはや進路どころか退路まで断たれた。私は落ちこもうと思ったが、そもそもの(タダ券をもらったという)発端を思い出し、落ちこむことさえやめた。
もはや、これを“夏休み”と呼んでみることにした。二名で予約をし、相手が土壇場で体調を崩し来れなくなったので、泣く泣く私ひとりで来たという空疎なシナリオが用意された。とりあえず、(ジャガー崩落以来)クルマさえもないので街場のレンタカーを予約してみたが、満車で一週間前ではクルマさえ用意できなかった。いっそ自転車ででも行くかと考えたが、途中で死亡するかもしれないので、それだけはやめておいた。もはや先のまったく見えていない中年男の儚い夏休みとしての気構えもでき、そう遠くない未来である独居老人の心構えさえできた。
そんな時、ある件で、そのタダ券をもらった夫婦と電話で話した。ことの顛末を(もはやネタとして)話していると、「それだったら三人でいこう!」という誘いを受けた。(係争の)当事者である夫婦だけではちょっとこの券は重いけど、無関係である中丸さんが入ればそれは楽しい旅になるのではないか、という理屈である。まるで生ものに添えられる毒消しのガリみたいな話しだ。
その提案を受け、私は一瞬返事にとまどった。なぜならこの何回転もした私の脳内で行われたロケハンが、まるで途中で煙りを吹いてぶち切れたDVDのようにブッツリと音を立てて虚空を彷徨っていくことになるからだ。だが、あたりまえだが、断れる道理はない。なぜなら元は彼らの券だからだ。
もはやギャグだ。私は、では、(一回思い描いた中年の孤独旅の気分を味わうために)行きだけは現地集合にすることを提案した。
当日、私は早起きし、少し時間を持てあました後、ろくに時刻表を調べもせずに中央線に飛び乗ったわけだ。鈍行で十分だ。なぜなら、急ぐ必要が1ミリグラムもないからだ。
旅は滞りなく行われた。ただ、二人分のタダ券が三人になったので追加料金が発生し、もはや最初の“タダ”というグルーブ感がとんびと一緒に裏山に飛んでいったのを感じた。
もう、私の語るべきことは尽きた。旅の詳細を得意げに披露したり、自分と家族の幸福度を喧伝するような趣味は、私には持ち合わせていないからだ。
私が伝えていること、それは(自分で掘った落とし穴に自分ではまってしまうような)まるでコントのような世の中の潮目のおもしろさだ。
そんな気まぐれなある日ある時の潮目は、くせになるがカラダには悪い。
さあ、走りに行こう。温泉から帰宅してすぐ、私はそう思った。
2011.08.31 | コメント(0) | トラックバック(0) | マンガ的!
