スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | スポンサー広告

僕の好きな叔父さん

 私の叔父の話をする。

 母方の関係者なのでその叔父と私には血の繋がりはない。

 そして、その叔父は今はどこに行ったのかわからない。私と彼との唯一の接点であった「叔母の連れ合い」という関係もとっくの昔に解消し、今はその存在を追うことさえかなわない。いや、その息子たちである親戚筋(つまり私のいとこ)とはコンタクトが取れるので、接触しようと思えば何とかなるが、元々放浪感のある人なので、深く追うこともなく放っている。
 
 私の人生における意外な場面にその叔父は顔を出し、私に少なからずの影響を与えている。いわば私の好きな叔父さんなのだ。

 私と叔父は16歳違う。叔父はいわゆる団塊の世代である。

 私が小学生の時、叔父は20代の若者だった。

 ヴァンジャケットを着て我が家に挨拶に訪れ、お土産に『平凡パンチ』や発売されたばかりのカップヌードルを置いていった。

 加山雄三を教えてもくれたのは叔父だったし、ビートルズやアート・ブレイキーのレコードをニコニコしながら渡してくれたのもその叔父だった。

 私が大学に落ちて浪人していた時、予備校に通うために一年ほどその叔父の家に転がり込んでいた。叔父は気前よく部屋を貸してくれたし、時には気前よく勉強の邪魔をした。夜中にラーメンを食べに行ったのは二回や三回ではない。私は肥えた。

 そして、その頃、叔父はよく店長を呼んでいた。

 約25年前、彼はファミレスでさえ呼んでいた。そう、店長を出せと……。

 クレイマーだとかモンスターなんとかだとかが話題になる遙か昔の話だ。

 なぜ、彼が店長を呼ぶのかはいまいちよく覚えていない。事件として印象に残らないということは、たぶんたいした理由ではないのだろう。

 だが、その映像は鮮明に覚えている。

 店長を呼んでいる間、18歳の私を筆頭とする子供たち(9歳と5歳)はみんな下を向いて、その嵐が収まるのをじっと待った。

 彼はお酒を一滴も飲めない。お酒を飲めないのにいつも店長を呼んでいた。

 コーラを飲んで軽めのタバコを吸って口をとがらせながら、ウエイトレスの女の子をかきわけ、いつも店長を呼んでいた。

 なんでだろう。

 この話をすると、私の飲み仲間である蝋彫刻師の杉本英輝氏は、それは「店長依存症」だとバカな笑いを取った。

 叔父は甲高い声でいつも店長を呼んでいたが、店長が来ると意外にあっさりと「その件」は終わっていたりもした。

 叔父は、(私が大学に入り)学校の帰りにふらっと家に遊びに行ったりすると、帰り際、クルマで送っていくと言い張り、いいよいいよと遠慮しても絶対にひかない、そんな人だった。

 たぶん、生き方に不器用な彼が欲していたのは、見せられもしない口先だけの「誠意」なんかではなく、「店長がいる。この店はどんなことがあってもこの男が仕切っている」という目の前の「安心感」だ。

 時には空回りしていたけど、叔父は私たちに「安心感」を与えようといつも肩肘を張っていた。

 大学は落ちたけど、私はやっぱりこの叔父に「安心感」をもらった。

 浪人時代のちょっとほろ苦い思い出だ。

2010.03.25 | コメント(0) | トラックバック(0) | マンガ的!

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

« 前のページへ  | ホーム |  次のページへ »



FC2Ad

プロフィール

中丸謙一朗

Author:中丸謙一朗
職業:編集者・コラムニスト
1963年生まれ、横浜市出身。立教大学経済学部卒。1987年、マガジンハウス入社。『ポパイ』『ガリバー』『ブルータス』などで編集を手がけた後、独立。著書に『大物講座』(講談社)、『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社・扶桑社文庫)、『車輪の上』(エイ出版)、漫画原作『心理捜査官・草薙葵』(集英社コミックス)など。編著多数。

お問合せ

NKJへのお問合せ・ご質問等は以下のフォームよりお気軽にどうぞ。

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード

QR


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。