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エルビスと敬太

 生きてきた時代のそれぞれの「地点」で何があったかということを中心に語られる「世代論」は、画一的でお仕着せがましい眼差しに陥りやすいという点において、しばしば批判の的となる。だが、そんな批判の部分を差し引いても、やはり各世代間における微妙なる時間軸のずれが、おもしろい「景色」や「観念」の差を生むというのもまた事実であり、私がおもしろがる部分だ。

 エルビス・プレスリーは、歴史上におけるスーパースターだ。約5億枚のレコードを売ったその魅力や功績にはなんの曇りもない。

 だが、私たちの世代(40代)においてエルビス・プレスリーはデブの代表だ。これは「世代論」が生み出す、一種の「事実」なのである。

 以下は私が中学生の時、1970年代半ばの話だ。

 クラスにものすごいデブがいた。敬太だ。13歳にして100キロは軽く越え、150キロあるいは200キロ近くあったのではないかと思う。もちろん、背も大きい。学ランを纏ったその姿はまるで黒い山のようで、よくみんなが「敬太、敬太」と言いながら、その膨大な腹回りにしがみついていた。

 私も、未だにそのまるで羽毛布団のような「抱き心地」を記憶している。

 敬太はけっしておとなしい子どもではなく、時には教室で怪獣のように大暴れした。

 子どもたちはぴゃーっとまるで蜘蛛の子を散らすように逃げ回る。敬太は足が遅いので、誰ひとり捕まることがなく、敬太は悔しがり、ますます暴れ回る。そんな敬太を唯一おとなしくさせる方法があった。それは、みんなして、取って付けたように「敬太はプレスリーに似ている。うん、似てる似てる!」と言うのだ。

 すると、敬太は「その気になって」リーゼント(風)にしてきた髪の毛を撫でつけながら、「そ、そうか」とニコニコしながら、かっこをつけて見せるのであった。

 プレスリーのことをあまり知らない若い世代のために解説すると、当時のプレスリーは、柳腰まぶしき「伝説のロッカー」としての面影はなく、たまにマスコミに顔を出すその姿は、体重112キロ(最高到達点)の白きフリンジ付き巨体。昔のファンも口あんぐりの肥満ぶり。24時間待機する専用の料理人をはべらせ、ドーナツ、ホットドッグ、チューインガム、ピーナツバター、バナナなど、ガムシャラに食べ続ける「過食症」の状態にあったとされていた。  もちろん、スーパースターの彼にしかわからない苦悩もあったことだろう。

 しかし、子どもは残酷だ。「百貫デブの最後の逃げ場」。私たちにとって、エルビス・プレスリーとは、そういう存在だったのだ。

 1977年、多くの謎と嘆きを残し、エルビスは死んだ。

 数年後、『オレたちひょうきん族』にホタテ貝の着ぐるみにプレスリー風フリンジをあしらったキャラクターが登場した。安岡力也演じるホタテマンだ。

 「巨体」「フリンジ」「ロック」。プレスリーのさらなるエレメンツ化だ。

 一方、彼の死後、リバイバルの商売に影響しかねないその「デブなイメージ」を払拭したいと、関係者は躍起になった。 そして、その頃、エルビスを必死に追いかけていた世代は、すっかり「大人」になり、ロックや不良を卒業していった。

 時代の移り変わりなんていいかげんだ。だから、おもしろいのだ。

 今、この部屋には、エルビスの名曲『ラブ・ミー・テンダー』がかかっている。

 敬太はどうしているのか。その消息は残念ながらわからない。


 

2010.07.05 | コメント(0) | トラックバック(0) | マンガ的!

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プロフィール

中丸謙一朗

Author:中丸謙一朗
職業:編集者・コラムニスト
1963年生まれ、横浜市出身。立教大学経済学部卒。1987年、マガジンハウス入社。『ポパイ』『ガリバー』『ブルータス』などで編集を手がけた後、独立。著書に『大物講座』(講談社)、『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社・扶桑社文庫)、『車輪の上』(エイ出版)、漫画原作『心理捜査官・草薙葵』(集英社コミックス)など。編著多数。

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