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キャラの多すぎる物語

 今、目の前をこぎ去っていった女子高生たちの楽しそうな会話が、残響のように脳内に響き渡る。

 「いやあ、わたし、そういうキャラじゃないからさあ」
 「あははは」

 もう、キャラとかそういうの「うるせーよ」って思う。

 お笑い芸人から政治家まで、みんながキャラ立ちすることばっかり考えてる。
 さっきもテレビのコメンテーターが民主党党首のキャラがどうたらとか言ってた。

 確かにこのコラムでも「マンガ的!」とか、好き勝手にいろんなことを言ってるが、でもそれは、本人の「演じている」自意識の話をしているのではなく、どちらかと言えば本人の無意識下の部分の話、あくまでも第三者からの「見た目」や第三者に与える「空気感」の話をしているつもりだ。

 キャラの多すぎる物語はうっとうしいだけだし、「キャラが弱い」みたいな訓辞が蔓延すれば、行き着くところ、キャラのない人は生きてる価値なしってことになる。

 私自身、キャラがあるんだかないんだか知らないけれど、「意味もなく目立とうとするな、アホ」と怒られながら育った世代としては、この「キャラ騒ぎ」には何とも乗り切れない。

 いいじゃん。キャラなんかなくったって。


 昨日、テレビで流れていた渥美清の「泣いてたまるか」を見た。

 あの主人公の姿(平凡でどこにでもいるだめなサラリーマン)は、キャラが立っているという今風の言い方より、「平凡」という役柄をきちんと演じきり、見ている人の共感を得ていたのだと思う。当たり前だけど、そこには「ちゃんと」寅さんがいなかった。

 演技にせよ、生き方にせよ、きちっと埋もれることこそ難しい。

 近所の定食屋に覚えられずにいる快感。
 飲み会で出身地を二回も三回も聞かれる軽快感。
 名乗ってもうさん臭がられるうすら警戒感……。

 キャラが立って、タレントさんみたいにVIPなのもそれはそれでいいとは思うけど、ちゃんと最低限の名前を名乗って自然に振る舞えるというのが、ものすごく大事なことなんだと思う。

 民主党の党首候補の岡田克也さんとイオンは直接的には関係がないのだけれど(兄貴が会長)、イメージがスーパーのおかげで、岡田さんに何か頼むと、どうも二円か三円か安くしてくれそうな(庶民の味方?)気がする。実際にはそんなわけない。
 キャラやイメージなんてものは、そんないいかげんなものだ。

 何度か出会ってやっと名前を覚えて、その有り様がボディブローのように効いてくる。そういうのは「キャラ」と言わず、「存在感」と言うのだと思う。

 岡田さんが本当のところどうなのかはまだちょっとわからないけれど、政治はマンガではないことだけは確かだ。

 とにかく、私は安いキャラはもういらない。



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2009.05.14 | マンガ的!

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プロフィール

中丸謙一朗

Author:中丸謙一朗
職業:編集者・コラムニスト
1963年生まれ、横浜市出身。立教大学経済学部卒。1987年、マガジンハウス入社。『ポパイ』『ガリバー』『ブルータス』などで編集を手がけた後、独立。著書に『大物講座』(講談社)、『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社・扶桑社文庫)、『車輪の上』(エイ出版)、漫画原作『心理捜査官・草薙葵』(集英社コミックス)など。編著多数。

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