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思い出は美しすぎて

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 『思い出は美しすぎて』という歌があった。歌っていたのは八神純子だった。

 思い出は美しすぎて……。まだ若かった私は、ホンマかいな!? と思った。

 青梅に行った。
 何となく懐かしき和菓子のような風情の青梅駅。駅前ロータリーを抜け街道沿いに向かうと、たちまち“昭和”が迫ってきた。「青梅赤塚不二夫シネマチックロード」と名付けられた道の両側に居並ぶ、古い映画の手描き看板たちである。
 『俺たちに明日はない』『ある愛の詩』、思い出の中にある看板が眼前に並ぶ。これはたしかに懐かしい。そして濃い。

 昔を懐かしむこと。「ノスタルジア」という言葉がある。F・デーヴィスによる古典的名著『ノスタルジアの社会学』(世界思想社)では、細かな調査分析により、このノスタルジアという概念をいくつかに分類分けしている。
 そのひとつに、“内省的ノスタルジア”というものがある。これは、淡々と古き時間に思いを馳せる“素朴なノスタルジア”という分類と対比させて設けられている概念だが、「目前の懐古的事象に対して自分のアイデンティティを投影させる」こととされている。
 『思い出は美しすぎて』とは、やはりこの内省的ノスタルジアを表す状態である。時間が経つことにより、好ましくないイメージの断片は霧散し、その印象深き美しき思い出だけが残り、そして、「ああ、こんないい思い出に囲まれて、俺って……」と、輪郭を覗かせる自己を確信する。身も蓋もない表現に頼ると、 “めそっ”とする、ということなのだが、そんなニュアンスは、当時小学生の私の感性ではまったく知る由もなかった。

 場面を青梅に移す。通りを少し歩くと、『昭和レトロ商品博物館』『青梅赤塚不二夫会館』『昭和幻燈館』と立て続けに昭和が用意されている。

 私は「濃い」と言った。それはそうである。少し意地悪な言い方をすれば、ここにあるのは消費プロダクトという意味においても、また観光ソフトという意味においても、「商品化された昭和」だ。そしてそれが、人間の日常生活を取り去った状態でプレゼンされている。いわば原液も状態。「渡辺のジュースの素」ならぬ「青梅の昭和の素」なのである。

  “懐かしい”にも味わい方がある。水で割ったらアメリカン、生でやる猛者にはチェイサーを。原液を何で割って飲むのか、冷やすのか、ぬる燗なのか。それはすべて、私たち自身の“現在”の状況に関わっている。
 青梅の街に用意されている「館」は原液だけど、青梅という街にはそれをやさしく割ってくれるような自然と、ちょうどいい“揮発感”がある。

 “昭和”を体感した後、少し足をのばし、奥多摩方面へとクルマを走らせる。

 人はなぜ昔を懐かしがるのだろうか。思い出なしでは生きられないとでも言うのか。目前に開ける奥多摩湖に目をやる。人はなぜノスタルジアに縋るのか。それはもちろん、いつまでも自分自身を探し続ける人間の弱さであり、近未来を都合よく強引に変えていきたいという人間の我が儘である。でも、そんな弱さや我が儘は許されていいものだと思う。人は移動し旅をする。いつも重荷を背負わされている心だって旅をしたいのだ。

(初出・『With YOU』6月号)


2009.11.01 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他

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プロフィール

中丸謙一朗

Author:中丸謙一朗
職業:編集者・コラムニスト
1963年生まれ、横浜市出身。立教大学経済学部卒。1987年、マガジンハウス入社。『ポパイ』『ガリバー』『ブルータス』などで編集を手がけた後、独立。著書に『大物講座』(講談社)、『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社・扶桑社文庫)、『車輪の上』(エイ出版)、漫画原作『心理捜査官・草薙葵』(集英社コミックス)など。編著多数。

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