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イカくさい男

 イカには純文学的佇まいがある。

 「イカくさい男」「イカ好きな女」「イカパーティー」。

 どの言葉も心をざわつかせる何かを持っている。

 おいしく噛み応えのあるイカは他の魚介類よりも特にカロリーが低く、低脂肪。イカにはタウリンという血中コレステロールを減少させ、活力を与えてくれる物質が多く含まれていることでも有名だ。

 でも、そんなことはどうでもいい。

 イカの素敵な質感と佇まい。

 イカは胴体部分が透き通った乳白色、身にツヤがあって弾力があるものほど新鮮と覚えておくといいらしい。

 でも、そんなこともどうでもいい。

 イカのランジェリーにも通じる官能的なあのてかり。

 イカを食い物としてしか見たことがないと多くの人は言うだろうし、イカ見て何興奮してるんだと小馬鹿にされるとは思うが、イカを食い物以上の存在として見ないなんて、あまりにももったいなさ過ぎる。

 マウスパッドによし、バイク用のヘルメットによし。関節のサポーターによし。

 個人的には、水と水で、イカの水泳帽でしゃらっとジムで泳いでみたい。

 「あれ、もしかして、イカ?」なんて、こそこそと言われながら。

 あるいは、「えーっ、それもしかしてイカですか? きゃー、触らせてくださ〜い。えーっ、うっそー、吸い付く〜」なんて。

 妄想……。

 ところで、イカくさい男とはどんな男なのだろうか。

 新年早々必死こいて考えることでもないのだが、いや、あえて考えることにしよう。

 「イカくささ」とは、イカのアンモニア臭やそこから連想される股間の残尿臭のことを指しているのではないかというへんに「具体的」な解説もあるが、そんなことよりも、もっと抽象的な「オナニー感」、「オナニーばっかりしてそう」、あるいは、「今したばっかり」、そんな感じが漂う人に送られる立派な称号だと思っている。

 「イカくさい男」という称号。

 これは、私の中でなぜかロバート・パーマーである。

 それは誰か。 

(有名なMTVビデオクリップの中で)あのくねくねと踊るサイボーグメイクの美女を侍らせ、自身はタキシード姿で「Addicted To Love」(恋におぼれて)を歌った、今は亡きイギリスのミュージシャンである。

 ロバート・パーマーが実際にオナニーばっかりしていたかどうかは、そんなこと知ったこっちゃない。だが、「イカくさい」という感覚に、この人の絵柄が不思議とはまる。

 もう少し、イメージを広げてみよう。

 「イカくささ」とは官能でもあると同時に、へんにフォーマルな感じが漂う。

 部長とか執行役員っぽい。

 日本的にいうと「樟脳臭い」というか、タンスの奥から引っ張り出してきた女将の着物姿に感じるエロスというか、ウエディングドレス姿に欲情する列席おやじの感性というか、相当に変態っぽくなって収拾がつかなくなってきたというか、とにかくイカはいい感じの「公式感」が漂う。厳かな食い物だと思う。

 もう、考えるのがめんどくさくなってきた。いいや、この辺で。

 この放りっぱなしも、イカの純文学性だと思う。


Robert Palmer - Addicted To Love


2011.01.10 | コメント(0) | トラックバック(0) | マンガ的!

わすれじの布袋様

 玄関に八畳敷きの日の丸を飾っている私の本家は、思い出の家だ。毎年、夏休みになると野郎ばっかりの従兄弟たちが集まり、まるで部活のような風情で、遊びの「強化合宿」が開催されていた。

 玄関先のゴムまり野球公式戦に始まり、二部屋ぶち抜きの和室内で行われるガムテープ製バレーボール・ワールドカップ。廊下アリーナで開催されるスピードスケート。縁側シャンツェで繰り広げられる1.5メーター級ジャンプ。腹が減れば、インスタントラーメンと桃屋のザーサイ。テレビ画面からは広川太一郎の名調子で流れるモンティ・パイソン……。

 1970年代中頃の光景である。

 その思い出の景色の中にひときわ輝くものがある。それは布袋様の置物だ。布袋様はこの古ぼけた日本家屋の床の間に置いてあった。鈍い艶と色黒の薄ら笑いが異様なオーラを漂わせ、周囲で暴れ回る子どもたちを何となく居心地悪くさせていた。

 我が一族の従兄弟たちは、みな、この布袋様の恐怖と闘ってきた。エアコンなんて気の利いたもののなかった当時、寝苦しい真夏の夜には一服の清涼剤となっていた。

 「布袋様が袋しょってやってくるぞ」

 幼稚園児は必ずや泣き出し、小学生はふとんを頭から被り、中学生でさえも、その月明かりに照らされる布袋様の横顔に生命の息吹や死者の回帰を見た。

 昨年、布袋様のいる本家を守ってきた叔父も鬼籍に入り、私は、しばらくぶりに本家を訪れた。

 布袋様は、まだそこにいた。

 布袋様は七福神のひとつである。

 七福神とは、「インドのヒンドゥー教(大黒・毘沙門・弁才)、中国の仏教(布袋)、道教(福禄寿・寿老人)、日本の土着信仰(恵比寿・大国主)が入り混じって形成された、神仏習合からなる、いかにも日本的な信仰対象である。室町時代末期頃から信仰されていると言われている」。(ウィキペディア)

 そもそも、布袋様っていったい何なのだろうか。

 ある本は布袋様を以下のように解説している。

 「布袋は、七福神の中で唯一実在した人物で、契此(かいし)という風狂の中国禅僧だとされている。背が低く肥満体で、胸と腹をはだけて太鼓腹を出している。いつも愉快そうに開口大笑している。いかにもおめでたい風体である。右手に団扇を持ち、大きな布袋をかたわらに置いて、物乞いした食べ物や日常品を入れている。布袋の名前もここから来ている。子供を引き連れて巷を放浪する。雪中でも雪をかぶらない、吉凶や天気を予想した、ことなどから人気を博した。弥勒菩薩の生まれ変わりとさえ言われてきた。

 布袋は、財宝と家運、平和と安穏、不老と長寿、安産と子育ての神だとされる。何事にもこだわらず、天真爛漫な生涯を送ったとされる。不殺生の戒律を破って魚も食べた。しかし、布袋を主神とする神社は日本ではほとんど見当たらない。」 (『七福神信仰の大いなる秘密』久慈力著、批評社より)

 遙か昔に死んだ祖父。16年前に死んだ私の父。昨年逝った本家の叔父。半世紀以上の間、いつもそこには布袋様があったのだけど、何でそこにあるのかを残された従兄弟全員が聞き忘れた。

 天真爛漫に生きる。ただ何となくそのことを教わり続けていたのかもしれない。

DSCF0011.jpg

2010.08.03 | コメント(0) | トラックバック(0) | マンガ的!

【谷村新司先生、肥満児の件について】

 先日、近所の図書館で、谷村新司の『本当の旅は二度目の旅』というエッセイを、何げなく手に取った。1993年の発行なので、たぶん、もう絶版になっているのではないかと思う。図書館らしい出会いである。

 その中に、谷村新司さんが、「自分は肥満児だった」ということを吐露するくだりがある。

 身長150センチ足らずで、体重70キロの肥満児童。顔がほとんどお尻のようになり肉の中に鼻が陥没しているご尊顔。氏曰く、「当時の写真を見ると、悲しいを通り越して笑ってしまいます」という状態だったらしい。

 勉強も運動もできた「天国のような」小学校の前半(三年生まで)の時期が、急激に肥満体となり、女の子にもてない「地獄のような」小学生時代になったと語った。

「太ると女の子が振り向きもしなくなるのは当然、もてるどころじゃありません。ときはちょうど初恋の時期だというのに、好きな女の子のことを考えても、ふと鏡を眺めると太りに太った我が身が……。当時はまだ肥満児なんて珍しい時代で、ぼくの通っていた小学校でも全校生徒のうち、三、四人でしょうか。一年前までは人気者として注目されていたのに、今度はよその小学校までがすごい肥満児がいるぞと見物しにくる始末。」(本文より)

 おもしろい。ただ、ひたすらにおもしろい。

 だが、これは何も谷村先生をバカにするためにおもしろがっているのではない。何よりも、私はこの心境がよくわかるのだ。なぜなら、この私が肥満児だったからだ。

 同じ中学の敬太のことをからかっていたのにごめん。見物に来られるほどのものではなかったが、それでも、顔はパンパン、上背も横幅も小学校一のでかさと太さ、私は立派な肥満児だったのだ。

 私も谷村先生と同じように機敏な低学年時代を送った後、小学校4年から太り始め、6年生で「どピーク」を迎えた。

 やはり、問題はその頃だ。

 女子ほどではないにせよ、少しは異性を気にし出すお年頃。その割には腹が出てたり、おっぱいが微妙に垂れ下がってたり、顎部の肉もぷにょんぷにょんと、もう自分でも自分の身体がうんざりする感じで、風呂でしげしげと(唯一贅肉の目立たない)手の甲を眺めてため息をついていたことを思い出す。

 そんな「朗らかデブ」な(外見はそう見える)子を見て、母親はそれほど気にはしてない感じであったが、意地の悪い(というかギャグのきつい)おやじなどは、「おまえ、このままだと、中学に行ったら肥満児学級に入れられるぞ」と、ことあるごとに脅し、私の幼心を微妙に震え上がらせていた。

 しかし、今から思えば、あるのか、そんな肥満児学級。幻か……。

 いや、とにかく怖かったのだよ。

 谷村先生はその肥満児時代をこう総括する。

 「前半の輝ける栄光の時代と、後半の暗い悲惨な時代がありました。ほんの六年の間に人生の光と影を垣間見た子どもは、おそらくそうはいないでしょう!?」

 神々しき「昴」の原点がここにあった。

 肥満は人の身体をむしばみ、心までも傷つける。

 肥満なき明日へ。軽快なる心へ。

 それを克服できるかできないかは、その人の「芸術性」にかかっている。それも、身体一杯で表現していく「身体的芸術性」である。 何も難しく考えることはない。「理想的な身体」という高見を目指し「動く」、ただそれだけである。

2010.07.20 | コメント(0) | トラックバック(0) | マンガ的!

アマゾネス

 『アマゾネス』(テレンス・ヤング監督)を見た。

 この映画は1973年、私が10歳の時の作品で、子どもの頃無性に見たかった映画だ。今、思う存分に見る。おとな見だ。

 『アマゾネス』は、ギリシャ神話に登場する女性だけの部族をモデルにした映画だ。古代の女だけの狩猟部族で、子を産むときは他部族の男性の元に交わりに行く。

 着エロ的には基本薄手の部族衣装。戦闘シーンではチラリやポロリはぜんぜんアリ。当時の誰がいちばんよろこんでいたのかはよくわからないが、要するに女だらけのエッチな映画なのであった。

 だから、小学生の「見たい!」という欲望は、当然果たされることはなく、後年、テレビ東京あたりでやっていた洋画劇場での放送を親の目を盗みながら、必死こいて見たことが思い出として残る。

 久しぶりに見ると、たいしてエッチでもなく、女同士が裸で闘い合うという「どろんこプロレス」的展開のみが見せ場の、何ともぬけの悪い映画ではあったが、部族のリーダー(女王)が聴衆に向かい訓辞を垂れるシーンにこんなセリフがあった。

 「男は心も肉体も汚れている。男の手はすぐに悪いことを始める。男の顔は品がない。男の体はたるんで骨が触る。男はいつもせっかちでコクがない」。

 せっかちでコクがないって……。

 小学生の時にはわからなかったが、その実、妙に“コクのある”脚本だ。

 少年は大人の男になり、「汚れ」と引き替えに「コク」を得たはずだったのが、アマゾネス先生に言わせると、もう一度、一からやり直しなのかもしれない。


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2010.07.15 | コメント(0) | トラックバック(0) | マンガ的!

心がささくれだってる人

 最近ひとりで飲みに行くことが増えたので、たまたま隣り合わせた席の人と自然と話すことが増えた。そんな時に思うのだが、たまに心がささくれだっている人がいる。

 それは、けっしてケンカを売ってきたり、急に泣き出したりとかそういう「壊れた」人のことを言っているわけではない。

 店の主人や居合わせた客たちと普通に会話をしているのだけれど、その人の感じが、ヤスリで研いだりマニキュアでコーティングしているようなツルツルとした佇まいではなく、心のデコボコやザワザワが何となく透けて見える、そんな感じだ。

 そして、そういう人はどこかに危険な香りを漂わせてはいるのだけれど、いたっておとなしく飲んでいる。本当はいい人なのかと言うと、それはわからない。

 ただ、そんな「心がささくれだってる人」の方が、なぜか人間的に見える。

 それは世間によくありがちな“幸せなふり”をする欺瞞さがないからである。

 心がささくれだってる人は静かに飲んでいる。けっして手を叩きながらバカ笑いをしたりしないし、どうでもいいボケやツッコミに自分の言葉を被せることもしない。

 ささくれはめくると痛い。気にすると血が滲み、いつまでもズキズキと痛む。 だが、放っておくと、いつのまにかなくなっている。

 人間はそんなにやわじゃない。心のささくれは押さえつけたりめくったりせず、放っておくのがいい。

2010.07.12 | コメント(0) | トラックバック(0) | マンガ的!

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プロフィール

中丸謙一朗

Author:中丸謙一朗
職業:編集者・コラムニスト
1963年生まれ、横浜市出身。立教大学経済学部卒。1987年、マガジンハウス入社。『ポパイ』『ガリバー』『ブルータス』などで編集を手がけた後、独立。著書に『大物講座』(講談社)、『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社・扶桑社文庫)、『車輪の上』(エイ出版)、漫画原作『心理捜査官・草薙葵』(集英社コミックス)など。編著多数。

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