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書評『不味い』

 いつだったか、中央線沿線にある某有名「赤提灯系一杯飲み屋」に、ひとりでふらりと入った。週末の16時頃の話だ。

 初めての店だったが、いかにも雰囲気が良さそうだ。まだ、明るさの残る時間だというのに、店内はうまそうに酒を啜る人たちで穏やかな賑わいを見せていた。

 私はビールと焼き鳥数本を頼んだ。

 黙って、砂肝を食った。なんか知らんが思いっきり不味かった。ひと串に三きれの塊がささっているのだが、それは砂肝というより風呂の栓。焼き過ぎなのか時間の経ちすぎなのか、とにかく堅くて、噛んでも噛んでもぐにょぐにょと噛みきれず、噛むと同時に湧き出してくるはずの肉汁もほとんど感じられず、下にまとわりつくケミカルな気配のみがじんわりと脳の方に上がってくる……。

 ひと塊目は何とか胃の中に収めたが、ふた塊目は、何が悲しくてこんなものを食べなければいけないのかと、とうとうこらえきれず口から吐き出し、店の人に気づかれないように目の前にあったティッシュペーパーにくるんで、ポケットの中に隠した。

 何だかなあ、な瞬間だった。その店には悪いが、ビールも飲み干さないうちに、そそくさと出た。もちろん、三塊目は置き去りである。

 最近、おやじの専売特許であった赤提灯系一杯飲み屋がブームだと言っていい。ホッピーだのハイボールだのと、一昔前は見向きもしなかった類の酒や雰囲気を求めて、若い女性や昭和を気取る若者が、場末感漂う路地裏の飲み屋にまで大挙して押し寄せる。

 だが、ここでひとこと苦言を呈したい。最近の風潮は、このジャンルとしての「赤提灯系一杯飲み屋」を過信しすぎである。

 確かにおやじのいい顔やホッピー彩られる居酒屋で酒を飲む快感は何事にも代え難い魅力だ。だが、そういう雰囲気という調味料を加味しても耐え難き「不味いもの」があるというのも、また、忘れてはならない事実だ。

 不味いものにも「雰囲気としての味」がある、という微妙な勘違いを犯しがちだが、やはり不味いものは不味いものでしかない。そこにあるのは、瞬間的な不快な感情と、同時に湧き起こってくる「美味いもの」への感傷である。

 この小泉武夫さんの『不味い』はおもしろい。

 「不味いカニ」「ホテルの朝食の蒸した鮭」「不味いフライ」「カラスの肉」「不味いビール」「未去勢牡牛の肉」「不味いカレーライス」(目次より抜粋)……。

 彼が各地で遭遇した不味い食い物に関しての思いを綴っている。

 おいしいものが好き! おし、それはわかった。だが、不味いものは無視してはいけない。不味いものには不味いものの意味がある。

 この本には、小泉さんの、きちんと『不味い』食い物と対決した姿がある。本人曰く、「泣き寝入りの鬱憤晴らし」(あとがきを要約)らしいが、それもまたキュートだ。

 私はこの本を読み、先日の居酒屋の砂肝を思い出し、三塊目から逃げたことをちょっとだけ後悔した。

不味い! (新潮文庫)不味い! (新潮文庫)
(2005/12)
小泉 武夫

商品詳細を見る
『不味い』小泉武夫著(新潮文庫) ふんどし度 ★★★★


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2010.06.18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 書評・ふんどし本の世界

書評『歌舞伎町・ヤバさの真相』

 〇八年六月に発生した秋葉原通り魔事件で、なぜ犯人である派遣社員の青年(当時二十五歳)が犯行現場に秋葉原を選んで、歌舞伎町を選ばなかったのかという疑問を口にする人がいた。歌舞伎町を選ばなかったのは、歌舞伎町がすでに若い世代の関心の外だからであり、時代に病むほど鋭角化した若い世代の感覚にとって、歌舞伎町が陳腐化し、老朽化していることの証明ではないかというのだ。歌舞伎町としては事件の現場になることで、今以上にヤバさのイメージを増幅したくはない。犯行現場に選ばれなかったことは歌舞伎町にとって救いであり、幸いだった。なぜ、凶行の現場にならなかったかという疑問自体が不謹慎、非常識だと非難されよう。だが、それでも「なぜ選ばれなかった?」は一班の真理に通じそうな疑問ではあろう。(あとがき~老いていく街、興る街より)

 はっきり言って、最近、新宿という街が死んでいるような気がする。

 横浜人と言っておきながら、なんだかんだで16年も杉並に住んでいる私の本拠地は新宿だった。今でも、週末の夕暮れ時など、この街をうろうろとするが、何か最近おもしろくない。「怖い」でもない、また、盛り上がるでもない。渋谷や下北沢ほどガキっぽい街ではないが、かといって大人の街では、“もはや”ない。

 何だかワクワクさせるものが少ないのだ。

 最近、情報通信を駆使し、むりやり街興しをするような輩の宣伝文句がかまびすしいが、本来、街というものは、そういうふうに「興す」とか「寝かす」とか一部の人間がどうこうする話ではなく、街のエネルギーというのは、その土地とそこに住む人間との有機的関わりが生み出した、あるいは生み出している「行動の残像」“地霊”のようなもので、まるで生きて呼吸しているかのように変化し、成長し、また、衰退していくものなのだと思う。

 新宿は生きている。今は少しおとなしくしているだけ。本書を読むと、そんな新宿という街の底力を感じる。

 しかし、最近の時代の加速力は侮れない。底力のある街を平気で叩き潰す威力を持つ。

 多くの傷ついた人びとを癒してきた一方で、多くの「邪悪」を生み出す「つれない」街・新宿。だが、この街を愛し、必要としている人がいる限り、この大海のような街は、いつまでも存在し続けるのであろう。



歌舞伎町・ヤバさの真相 (文春新書)歌舞伎町・ヤバさの真相 (文春新書)
(2009/06)
溝口 敦

商品詳細を見る
 ふんどし度★★

2010.06.11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 書評・ふんどし本の世界

書評『天才 勝新太郎』

 やっぱり私はこういう商売をしているので、書き手と呼ばれる人たちへの評価には(自戒の意味も込めて)自ずと厳しくなるが、春日太一さんというこの若い書き手の仕事ぶりには感服した。

 帯には「『座頭市』と豪快な勝新伝説で知られる勝新太郎。本書は映画製作者としての勝とその凄まじい現場をスタッフの証言を元に再現し、繊細すぎる実像を浮き彫りにする。純粋さが加速させる狂気のノンフィクション」とある。

 勝新太郎自身によるものではない、勝死後の、まったく他者による自叙伝だ。

 著者は周辺への丁寧な取材によって勝新太郎の内面をえぐり出していく。

 それは、当時の勝のこんな口癖に象徴される。

 「そんなのはトゥーマッチだ」

 「大袈裟に誇張された表現、説明のための表現……分かりやすくするため、盛り上げるためにデコレーションされた全ての表現を、勝は『トゥーマッチ』と切り捨て」(本書より)た。

 勝は、百出した凡庸な表現を憎み、「心ある、本当の道をめざす人間は、自分だけの道を歩かなければならない。(中略)人々が長いこと見なれてきたものが、いかに退屈だったかを悟らせなければならない」(本書より)と、ひとり気を吐く。

 私は昔、『VIEWS』(講談社刊)という雑誌で、田原総一朗さんの連載対談のアンカーライターをやらせてもらっていた。

 そこで、運良く、勝新太郎VS田原総一朗という対談の機会を得た。

 そこにいた勝新太郎(先生)は、もはや晩年にさしかかり、例の大麻騒動の後でマスコミにさんざん叩かれ、体調も万全という感じではなく声もかすれぎみであったが、それでも迫力はじゅうぶん。突然、脈絡もなく始まる憑依的な身振りや手振り、ぼそっと呟かれるセリフ、そのひとつひとつに鬼気迫るものがあり、対談は勝先生の独演会と化した。まさに、道なき道を歩む、そんな感じだった。

 この本は創造者を元気にさせる。孤高の歩みはつらい。でも、「千里の道を歩いていくなかで、心に芽生えた疑問、芽生えた愛、芽生えた醜さ、芽生えた尊さ、いとおしさ、いつくしみ、すべてを、自分だけにしか表現できないやり方で、表現しなくてはならない」(本書より)と、その存在に大義を与えてくれる

 “トゥーマッチ”だが、最後にもうひとつ、本書からのエピソードを紹介するのをお許し願いたい。

 香港の配給会社ゴールデン・ハーベストのプロデューサーが、勝プロとの提携に関する案件として、小柄で痩せたひとりの男を提案した。

 「一度、こいつのアクションを見てくれ、物凄いから」

 と、プロデューサーは勝新にフィルムを渡す。

 フィルムを見た勝は、「その男の、奇声を発しながらのアクロバティックなアクション」に思わず吹き出し、こう呟く。

 「これはマンガだよ」

 その一言で、勝新とブルース・リーとの共演は幻に終わった。

 “孤高”は、時に交わり、時にすれ違う。

 やはり、勝新太郎は天才である。



天才 勝新太郎 (文春新書)天才 勝新太郎 (文春新書)
(2010/01)
春日 太一

商品詳細を見る



『天才 勝新太郎』春日太一著(文春新書)
ふんどし度 ★★★


2010.05.27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 書評・ふんどし本の世界

書評『スタートは四畳半、卓袱台一つ』

 梶原一騎先生の作品や彼に関する評伝などはいくつも読んでいるが、この本はちょっと変わったテイストだ。

 その他の評伝は実弟の真樹日佐夫先生を含む男性陣によって書かれているので、梶原一騎の「ふんどし感」にさらにいろいろな匂いをふりかけ、マニアにはたまらないスメルとなっているのに対して、この本はなぜかお嬢様チック。

 それもそのはず、著者は、先生と二度も結婚した奥様なのである。

 男の権化・梶原先生に対する女性からの目線が新鮮といえば新鮮だが、読みやすい筆致とは裏腹に醸し出される女性ならではのもたつき加減が、男道のスピード感を狂わせ、読み手である私たちを微妙にイラッとさせる。

 いや、これは決して著者である奥様を批判しているのではなく、それほどまでに梶原一騎の男道は偉大であり、また、奥様の存在がガーリーなのだ。

 男と女、それは対であり平行であり、また、遠くから眺めるとひとつの塊である。

 本書の中でこんなエピソードが紹介されている。

 伊豆半島の浜にあるサザエやイカ焼きを売っているある出店での出来事。

 梶原一騎は大好物のサザエのつぼ焼きを頼み、夫婦二人で食べようと焼き蛤やイカ焼きも注文した。焼き上がるのを待っていると、ふと側にいた先客の「小学校に行っているか行っていないか」ぐらいの男の子に目が留まった。

 それを見た梶原の顔はゆがみ、不愉快千万という表情になった。どうやら、その男の子が(イカ焼きではなく)サザエのつぼ焼きを食べていたのが気に入らなかったらしい。その場を離れた後、梶原は妻にこう言い放つ。

「子どもにはなあ、子どもの味覚っていうのがあるんだよ。大人になってから分かる微妙な味覚っていうのは子どもには分からないようになっているんだよ。子どもはほっといてもいつか必ず大人になるんだ。それまでは子どもの味を楽しませてあげなきゃよう。子どもが可哀想だろうが。
 子どものうちから大人の味覚にさせるんじゃねえよ。子どもに子ども時代を満喫させてやれって! 大人のようなガキにしちまってよう。大人が悪いんだよ、自分たちだけサザエ食ってりゃいいんだよ。いい親ぶりやがって。あんな親が子どもをダメにするんだ、あんな親がよ。子どもが大人になる楽しみをなくしてやがるんだよ。大人と子どもは違うの! 大人は子どもより偉いんだよ! だから早く大人になって、父親が食べてたサザエを食べるぞ、と思うんだろう?」

 突然怒りまくる梶原の側で「きょとんとした」思いを綴る奥様。

 「俺の守護神がな、どうやらおまえのことを好きみたいだ」

 これは、そんな奥様に、梶原一騎が死ぬ前にかけた最高に素敵な言葉だ。



スタートは四畳半、卓袱台一つスタートは四畳半、卓袱台一つ
(2010/01/07)
高森 篤子

商品詳細を見る



スタートは四畳半、卓袱台一つ』高森篤子著(講談社)
ふんどし度 ★★★


2010.04.02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 書評・ふんどし本の世界

書評『真樹日佐夫の百花繚乱交遊録』

 敬愛する我がふんどし教の教祖、梶原一騎先生ももちろんだが、この梶原先生の弟君である真樹日佐夫先生の著作も数限りなく読んでいる。

 『ワル』などのストーリーものももちろん秀逸だが、この人の書く(極真関係者たちとの)一連の『交友録』は、刺激的で、人をワクワクさせ、そして、ほんわかした気持ちにさせる名品、それは、まるで、強くてうまい“煙草”のようだ。

 本書は彼の著作の中では比較的新しい2009年の作品。『週刊実話』(日本ジャーナル出版)に連載していた『真樹日佐夫の痛快無頼交遊録 俺と彼、奴、彼女』が元になっている。

 「『入門しないか?』ではじまる縁と絆 格闘界だけに留まらない、歌手、俳優、映画監督、編集者」(帯より)たちとの百花繚乱の交友録が、艶っぽくもタイトな筆致で描かれている。

 読み進めているうちに今の私にとって、ものすごく“素敵”な箇所に出会った。

 以下は、真樹日佐夫先生の“煙草”に関するくだりである。

 「ニコチン含有量の多いチェリーが好きで、日に百本から百二十本は吸っていた。ヘビースモーカーというより、チェーンスモーカー。それが母親の死に目に間に合ってしまい、煙草さえ止めればおまえは百まで生きるから、というのが今わの際の耳許での囁き。これを遺言と解し、親不孝の連続だったことでもあり、罪滅ぼしに頑張ってみるかと一念発起。灰皿もライターの類も処分して臨んだものの、いやあ辛かった! うっかり禁を破った夢を見てベッドからは落ちるわ、執筆中に苦しみの余りか無意識のうちにパジャマの襟を噛んでボロボロにするわで……。」(P149藤原善明の巻)

 先生は煙草を吸っていない。

 私は昨年禁煙を敢行し、ひどい目にあった。このことは、このブログで何度も触れた。身体的には禁断症状を脱したものの、気持ち的にふんぎりがつかない大きな理由のひとつが、禁煙者の尊敬すべき先人が思いつかなかったことだ。

 一説によると、矢沢永吉は30歳で煙草をやめたらしい。永ちゃんファンには悪いが、私にはもうひとつ弱い。サザンの桑田佳祐や長渕剛なども、もはや吸っていない。うーん、そうだけど……。エリック・クラプトンは、ミック・ジャガーは……、所詮外国の人の話だ。

 そうか……。

 真樹先生が吸わないのなら、煙草なんかもう吸っていいわけないじゃん(笑)。

 “交遊”はまんだら状に広がるし、時代は忽然と変化するのである。



真樹日佐夫の百花繚乱交遊録真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
(2009/01)
真樹 日佐夫

商品詳細を見る


『真樹日佐夫の百花繚乱交遊録』真樹日佐夫著(東邦出版)
ふんどし度 ★★★




2010.02.19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 書評・ふんどし本の世界

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プロフィール

中丸謙一朗

Author:中丸謙一朗
職業:編集者・コラムニスト
1963年生まれ、横浜市出身。立教大学経済学部卒。1987年、マガジンハウス入社。『ポパイ』『ガリバー』『ブルータス』などで編集を手がけた後、独立。著書に『大物講座』(講談社)、『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社・扶桑社文庫)、『車輪の上』(エイ出版)、漫画原作『心理捜査官・草薙葵』(集英社コミックス)など。編著多数。

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